体育会大学生タローの日常

現役体育会サッカー部の大学生が成長していきます。

タローについて ②

どうも、タローです。

最近は緊急事態宣言もあり、大学の練習がないため様々なことに時間をさけるいい機会なので、ブログの更新も頻繁にしていきます。

 

今回も前回と同じく私のこれまでを紹介していきます。

 

 

中学生時代

 

晴れてJ下部組織のジュニアユース(中学生年代のカテゴリー)に入団が決まり、中学入学前の小学6年生の2月、ジュニアユースの練習に参加をした際に自分の同級生となる仲間がわかったのですが、小学生の頃から県内で有名だった選手たちばかりで衝撃を受けたのと同時に、このメンバーでやれるのかというワクワクも多くありました。ポジションもフォワードからサイドバックへと変わり、この頃の自分は普通に試合にも出れるだろうと完全に調子に乗っていました。

 

しかし現実はそう甘くありませんでした。

 

練習をしていても出すパスはすべて取られる。武器だったスピードも体の成長が速い選手たちが多かった同級生たちに全く歯が立たない。僕自身も体が大きくなかったため、全てにおいて仲間たちに劣っていました。1年生だけでのリーグ戦があり、年間で20試合ほど行うのですが、1年間の合計出場時間は10分。スタメン出場は0で、出場した10分も大勝している試合にしょうがなく出させてもらった程度でした。僕はここで今まで味わったことのなかった挫折を味わいました。学校に行って「試合に出てる?」と友達に聞かれた時も見栄を張って「出ているよ」なんて嘘をつくほど今の自分が恥ずかしく、練習をしてもしても凄い選手の集まりであるチームでは差が開いていく一方でした。しかしそんな私にも転機が訪れます。

 

私たちのチームでは、入団時に骨密度という検査をします。この検査では自分の身長がおよそ何センチまで伸びるかがわかります。この検査で私は体が大きいチームメイトがいる中でもトップ3に入るほど身長が伸びるとの検査結果が出ました。そこで2年生からポジションをサイドバックからセンターバックへとコンバート。しかしセンターバックでも自分より実力が上の選手しかおらず、試合に出ることは一切ありませんでした。しかし、ここで自分の運命を変える出来事がありました。

 

私の1歳上に全国でもトップクラス、ナショナルトレセン関東(関東選抜)に入り、自分のチームから1人上がる人がいるかいないかというレベルのユースへの昇格も決めていた先輩がいました。その先輩の武器はキックとヘディング。その中でもヘディングがとても強く同年代では敵なしでした。その先輩を見て、私もヘディングを武器にしたいと決め、2年生ではひたすらヘディングをしまくりました。仲間が帰ってもヘディングをしまくりました。本当に頭がおかしいくらいの数をしていたと思います。すると、伸びてきた身長と練習の成果もあり、段々とヘディングに勝つことができるようになってきました。そして3年生になる頃には、「自分の武器はヘディング」と言い切れるほどヘディングが強くなりました。

 

そして3年生になり、リーグ戦が始まりました。その開幕戦、私は公式戦で初めてのスタメン出場をしました。試合にも勝つことができ、やっと努力が少し報われたと思い、涙が出たのを今でも覚えています。

 

そしてJクラブに入団したからには必ずついて回る「ユースへの昇格」の時期がやってきました。チームで1人昇格できるかという非常に狭き門です。昇格の可否については監督、両親、自分での三者面談で発表されます。続々と仲間たちが落選したという話を聞き、ついに自分の番。結果は「保留」でした。そして後日、正式に昇格の話をいただき、念願のユースへの昇格が決まりました。自分含めチームからは18人中2人が昇格をしました。下手糞でもここまでやれるんだと少しは証明することができました。

 

皆さんにも壁にぶつかること、挫折を味わうことがあると思います。まだ私は何も成し遂げてはいないので偉そうな口では言えませんが、目標を達成するには

 

「継続」「武器」

 

の2つが大事になります。皆さんも辛いことがあったとき、少しでもこの言葉が役に立つと幸いです。

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。次回は高校生時代を振り返ります。

 

では。