体育会大学生タローの日常

現役体育会サッカー部の大学生が成長していきます。

タローについて ①

こんにちは。タローです。

 

今日は私の今までの人生についてお話していきたいと思います。

と言っても映画のような波乱万丈な人生を歩んできたわけではないので、ゆるーい気持ちで読んでみてください。

 

 

幼稚園時代

私はごくごく普通の幼稚園に通っていました。やはりこの頃から運動神経だけは良く、運動会の徒競走などでもぶっちぎりで勝つなど、小さい頃から今まで足は他の人よりも早かったです。そして私はこの幼稚園時代に今でも続けているサッカーに出会いました。始めたきっかけは父がサッカーをしていた影響であり、もし父がサッカーをしていなかったらサッカーとは出会っていなかったかもしれません。しかしサッカーを始めたとはいってもサッカークラブなどに入っていたわけではなく、父と兄とでボールを蹴っていた程度で、まだサッカーは全く上手くはなかったです。

 

 

 

小学生時代

私が通い始めた小学校は、幼稚園の学区とは異なっていたため、私の幼稚園出身が一人というかなりのアウェイで小学校に入学しました。友達はすんなりと作ることができましたが、遊びに誘うことができないというかなりのシャイボーイでした。そして小学1年生の11月に小学校のサッカー少年団に入団しました。早い子は4月に入団していたので、少し遅れてのデビューとなりました。しかしここでも上手いほうの選手ではなく、純粋にみんなとサッカーを楽しんでいました。そして段々と自分の足の速さが通用するようになってきて、一応チームではエース?のような立場でプレーさせてもらいました(笑)

 

そして少年団の団長から、市の選抜チームのセレクションを受けてみないかと声をかけていただき、無事合格をもらうことができました。このチームは県でもなかなかの結果を残すチームで、最終的に僕たちのチームは県でベスト4に入ることができました。そういった結果もあり、県の選抜(サッカー界では県トレセン 通称:県トレ)にも入ることができました。しかし県トレでは全く力が通用せず、ほぼ戦力外のような対応をされていました。(笑)

 

プレー面では足だけは本当に早かったので、ボールを前に蹴れば誰でも抜けていたという無双状態だったので、そればかりに頼っていたため、技術的には全くと言っていいほど上達しませんでした。

 

そして小学6年生の11月、自分の住む地域に某J1クラブの下部組織のチームがあったため、チームのみんなと一緒にセレクションを受けました。セレクションは5次試験まであり、なんとか最終試験まで残ることができました。しかし最終試験に行くと県でもスターだった選手が勢ぞろいしており、最終試験のメンバーから半数が落とされるということもあり、落ちる恐怖しかありませんでした。しかし後日電話で合格をもらい、念願のJの下部組織入りを果たすことができました。

 

 

 

 

 

以上が私の幼稚園、小学生時代の簡単な経歴の紹介でした。こうやって思い返してみるとあそこでJの下部組織に入団できていなかったら間違いなく今はサッカーをしていません。それを言いきれるほど濃密なサッカー人生をこれから歩んでいくのですが、都築はまた次回に書いていきます。

 

では。